ストーリーのタイプにはいくつかの要素があると思いますが、私にとって一番重要なのは「登場人物の成長」です。
これは肉体的なことではなく、人格的な面での成長があるかどうかということですね。
ただ、「人格的な成長」と言っても、それは必ずしも社会倫理的に好ましいものでない場合もあります。
なので「人格的な変化」と言ってもいいかもしれません。
例えば、アダルト小説でよくあるパターンの1つとして、貞淑な人妻が頭では自身の行為を否定しつつも、だんだんと肉欲におぼれていくというものがあります。
これはこれで立派な成長なわけですね。
この際に、細かい部分まで含めれば、成長しない物語なんてないじゃないか、という意見もあると思います。
その通りですね。何をもって成長したというのかも、読み手本人に委ねられるわけですし。
私の場合は「価値観の変化」こそが重要だと考えます。
先ほどの貞淑な人妻の例で言えば、自分を縛る倫理観に従って欲望に抵抗しようとするものの、やがて倫理観を放棄してしまうようになるという部分が、価値観の変化になるわけですね。
そういう点から見て、ゲームの場合でいうと、ドラクエのストーリーには私はあまり興味がわきません。
ターゲットを見据えた上でのマーケティング的な面も含めた完成度の高さは疑うべくもありませんし、ストーリーが面白くないということではありません。
ではなぜ自分にとって興味が無いのかというと、主人公がさまざまな困難を乗り越え、人々を救っていくというお話の中で、主人公自身の価値観の変化は私にとってはあまり感じられないからです。
これは欠陥ではなく、描く必要がないんですね。
プレイヤーは困難を乗り越えていく主人公の姿に自身の姿を重ね、感情移入していくように作られています。
この時、主人公があれこれ思い悩んでいたら、「自分はそんなところで悩まない」と、プレイヤーが冷めてしまうわけですね。
なので、主人公は「基本的に多くの人が正しいと思っている思考」にもとづいて行動しますし、それは殆どの場合最後まで継続すると思います(私は4作品くらいしかやったことがないので、詳しくはわかりません)。
このタイプは私の中では人格的に完成された主人公と考えています。
人格的に完成された主人公の場合は、主人公の成長は主に価値観の変化によるものではなく、自信の増加や同じ価値観をともにする仲間の存在など、主人公の人格を強化する方向によって描かれるように感じます。
マンガなどでも王道のパターンの1つですし、叙事詩の英雄譚などの主人公も、基本的にこのパターンが多いと思います。
人格的に完成された主人公を突き詰めていくと、全く成長しない主人公というのもあります。
これは主人公が成長する余地がないくらい成長しているものですね。
例えばソード・アート・オンラインのキリトなどはこのパターンだと思います。
全ての問題に対して華麗に解決していく姿を描くもので、学習や経験による問題解決方法の変化はあるものの、物事に対する態度にはほとんど影響しないタイプのものです。
主人公の問題解決を描くという意味では、叙事詩の英雄譚はこっちのほうに入ることが多いかもしれません。
小栗旬の主演で映画になった『岳』という漫画がありますが、この漫画の主人公はこのタイプですね。
ただし、漫画の方では主人公の成長を描くのではなく、主人公に触れるさまざまな人(一回限りの登場人物を多く含む)の心の成長(価値観の変化)を描いた作品になっています。
映画では主人公の超人的な活躍を軸として描かれるシーンが多く、個人的にはかなり不満の残る出来でした。
書いてて思いましたが、なんでドラクエから岳まで飛んでるんでしょうね。
まあ結局何が言いたいのかというと、私にとっては価値観の変化がない話にはあまり興味が無いので、自分で作るとしたら何らかの形で価値観の変化を描いた話を作るだろうなあということですね。
このグダグダ感。
テーマの選出以外にプロットの重要性がよくわかる駄文ですね。
追記。
キリトはよく考えたら最初は一人でやっていこうというところから、色々な出会いを経て、仲間と共に歩んでいくというような変化がありましたね。
2部以降のキリトならそういう意味での成長はほぼないと思いますが。
これは肉体的なことではなく、人格的な面での成長があるかどうかということですね。
ただ、「人格的な成長」と言っても、それは必ずしも社会倫理的に好ましいものでない場合もあります。
なので「人格的な変化」と言ってもいいかもしれません。
例えば、アダルト小説でよくあるパターンの1つとして、貞淑な人妻が頭では自身の行為を否定しつつも、だんだんと肉欲におぼれていくというものがあります。
これはこれで立派な成長なわけですね。
この際に、細かい部分まで含めれば、成長しない物語なんてないじゃないか、という意見もあると思います。
その通りですね。何をもって成長したというのかも、読み手本人に委ねられるわけですし。
私の場合は「価値観の変化」こそが重要だと考えます。
先ほどの貞淑な人妻の例で言えば、自分を縛る倫理観に従って欲望に抵抗しようとするものの、やがて倫理観を放棄してしまうようになるという部分が、価値観の変化になるわけですね。
そういう点から見て、ゲームの場合でいうと、ドラクエのストーリーには私はあまり興味がわきません。
ターゲットを見据えた上でのマーケティング的な面も含めた完成度の高さは疑うべくもありませんし、ストーリーが面白くないということではありません。
ではなぜ自分にとって興味が無いのかというと、主人公がさまざまな困難を乗り越え、人々を救っていくというお話の中で、主人公自身の価値観の変化は私にとってはあまり感じられないからです。
これは欠陥ではなく、描く必要がないんですね。
プレイヤーは困難を乗り越えていく主人公の姿に自身の姿を重ね、感情移入していくように作られています。
この時、主人公があれこれ思い悩んでいたら、「自分はそんなところで悩まない」と、プレイヤーが冷めてしまうわけですね。
なので、主人公は「基本的に多くの人が正しいと思っている思考」にもとづいて行動しますし、それは殆どの場合最後まで継続すると思います(私は4作品くらいしかやったことがないので、詳しくはわかりません)。
このタイプは私の中では人格的に完成された主人公と考えています。
人格的に完成された主人公の場合は、主人公の成長は主に価値観の変化によるものではなく、自信の増加や同じ価値観をともにする仲間の存在など、主人公の人格を強化する方向によって描かれるように感じます。
マンガなどでも王道のパターンの1つですし、叙事詩の英雄譚などの主人公も、基本的にこのパターンが多いと思います。
人格的に完成された主人公を突き詰めていくと、全く成長しない主人公というのもあります。
これは主人公が成長する余地がないくらい成長しているものですね。
例えばソード・アート・オンラインのキリトなどはこのパターンだと思います。
全ての問題に対して華麗に解決していく姿を描くもので、学習や経験による問題解決方法の変化はあるものの、物事に対する態度にはほとんど影響しないタイプのものです。
主人公の問題解決を描くという意味では、叙事詩の英雄譚はこっちのほうに入ることが多いかもしれません。
小栗旬の主演で映画になった『岳』という漫画がありますが、この漫画の主人公はこのタイプですね。
ただし、漫画の方では主人公の成長を描くのではなく、主人公に触れるさまざまな人(一回限りの登場人物を多く含む)の心の成長(価値観の変化)を描いた作品になっています。
映画では主人公の超人的な活躍を軸として描かれるシーンが多く、個人的にはかなり不満の残る出来でした。
書いてて思いましたが、なんでドラクエから岳まで飛んでるんでしょうね。
まあ結局何が言いたいのかというと、私にとっては価値観の変化がない話にはあまり興味が無いので、自分で作るとしたら何らかの形で価値観の変化を描いた話を作るだろうなあということですね。
このグダグダ感。
テーマの選出以外にプロットの重要性がよくわかる駄文ですね。
追記。
キリトはよく考えたら最初は一人でやっていこうというところから、色々な出会いを経て、仲間と共に歩んでいくというような変化がありましたね。
2部以降のキリトならそういう意味での成長はほぼないと思いますが。